カラダだけの関係ってむなしくならないの?
さて、つづけて2本目〜〜なんだか記事を書きたい気分です(((o(*゚▽゚*)o)))
今回は「カラダだけの関係ってむなしくならないの?」という、質問されそうなことについてお答えします〜〜笑。
世の中、いろいろな考え方の人がいます。
セッは好きな人、愛する人とするものだ…
だいたいみんなこう思ってるんでは、、。
これはみんな身体的な快楽に精神的な安定も求めているんです。
もえは、この2つを切り離して考えることができます。基本。
ていうか、2つを混同してしまうとカラダだけの関係はうまくいきません。
「この人ちょっと好きなんだけど〜」くらいが1番です。でも人間の気持ちというのは曖昧なもので
最初はちょっと好きなんだけど〜〜だったのに
だんだん会ううちに
「のめりこんでしまいそう」か
「肌に触られるのも嫌だ」
ってなってしまったりします🙄🙄🙄
んま、だからこそお互い物語がうまれるんでしょうね♪つまり、セッはゴールじゃないってことです。
カラダだけの関係から恋が始まるのも、一気に冷めるのも、私はいいことだと思っています。
形式にこだわる必要ってそんなにないと思うけど。
ここで話を戻して、むなしくならないのか、という質問ですけど
精神的な安定を私はセッする相手に求めません。
これを供給してくれる相手はほかにいるからです。それは身近にいる家族や友達だったり、とてもとても、とても、、大切な人だったり。
だから私にとってセッは基本的に身体的快楽と、少しのキュンを届けてくれる人とするものです。
ビジネスとして考えるのもアリだろうな〜。
でもこの2つを混同しちゃって、「寂しいから誰とでも寝ちゃう」みたいなのはよくないと思います。
それは精神的な安定を、カラダを使って手に入れようとしてるだけ。こういうタイプの子は、何回誰と肌を重ねても寂しくって、挙句不幸な恋愛になってしまうことがおおいです。
そんな子へ
「私って実は仲良しな子がいないんじゃないか」とか「私ってほんとは誰からも必要とされてないんじゃないか」とか
そんなこと心配する前に、誰かを必要としてみようよ。
そしたらそれに応えてくれる人は、もっともっと身近に必ずいるよ。
カラダを餌にしても都合の良いヤリモクしか寄ってこないよ。
ありのままの自分をさらけ出す努力をしよう。
それは画面の向こう側でも、海の向こう側でもいいんだけど。
あ、
もちろん、ここにもいるでしょ?もえちゃんが(=´∀`)人(´∀`=)♡♡
わぁぁあぁああなんか恥ずかしい笑
と、趣旨からズレまくりましたがこの辺で笑